忘れていた父の葬儀と母の葬儀のおもいで

忘れていた父の葬儀と母の葬儀のおもいで

今日は父の49日の法要であった。

 

住職のお経の最中に、父の葬儀ことが私の頭の中に鮮明に
蘇ってきたです。

 

父が亡くなった時、私は出張先にいました。その知らせは、父が入院していた
病院の先生からでした。

 

それから私は、出張を全てキャンセルし、東京に戻りました。

 

結局、父の死に目には立ち会えませんでした。そのため葬儀は、
少しでも盛大にするために金額も多めに設定しました。

 

そのために、80歳を超えた父の大学時代の友人たちにも
連絡を取りましたが、葬儀に参加して頂いたのは、僅か3人でした。

 

結局、葬儀に来て頂けたのは、親戚と近所の人たちとその友人達でした。

 

しかし、1年半前に他界した母の葬儀の時は違いました。

 

葬儀に来て頂いた人たちは、友人が多かったのです。

 

その時は、少しでも低価格になるように葬儀の値段を決めました。

 

それが、マイナスでした。母の葬儀の場所は、住んでいる場所から遠くの離れた
斎場でしたから、葬儀後にたくさんの母の友人から連絡があり、家に焼香にくる人が
多かったのです。

 

それを反省して、父の時は金額を高くして近所の寺で葬儀をしたのです。

 

しかし、父と母では、老後の社会的立場が違ったのです。結局は、
葬儀をした後、その時の反省は忘れました。

 

そろそろ住職のお経が終わるようです。父の49日に両親の葬儀を思い出しました。

 

もちろん、葬式は小さなお葬式のクレームやトラブルを確認の
うえでお願いいたしました。

 

人間性が現れていた葬儀

 

人間は、生きている時よりも亡くなった時に、その人の人間性が明確になると
言われています。

 

それを実感したのが、私の伯父が亡くなった時の葬儀です。

 

伯父は私の実家の近所に住んでいたので、頻繁に目にもしてましたし、
たまに会話をすることもありましたが、本当の意味でどんな人間なのかは
あまりわからなかったです。

 

ただし、昔から町内会の代表なり、地域との関わり合いは多い人で
あったのはたしかです。

 

そんな伯父が突然の病気で亡くなり、葬儀の当日になり、私は
叔父の人間としての偉大さを目にするのです。

 

葬儀場は民間の葬儀場を利用したのですが、当日、葬儀が始まる
1時間前に葬儀場へ着くと、たくさんの人が列をなしているのです。

 

今日は、たくさんの葬儀が行われるのだなと思っていたのですが、
いざ、親族が集まっている部屋に入ってから知らされたのが、列を
なしていた参列者は、全て伯父の為に葬儀に参加しに全国から
いらっしゃった方々だったのです。

 

いろんな方とも会話をしましたが、伯父が生前に多くの方に
善意でしたことで、多くの方の助けになっていたことを知ります。

 

こんなにも人から愛されていた伯父だったと知って、とても嬉しかったです。